今年に入ってから、これまでの自分の習慣や考え方、そして家の中の整頓まで、ひとことで言えば「自分の人生とちゃんと向き合い、少しずつ改善していこう」という試みを続けている。
そんな中で、ひとつ興味深いことに気づいた。
自分が取り組んでいることのほとんどすべてに、共通した「反動」のようなものが現れるのだ。
せっかく良い方向に進もうとしているのに、心がざわつく。不安になる。やる気がなくなる。怖くなる。孤独を感じる。
最初は「なんでだろう?」と思ったけれど、どうやらこれは、変化に対するごく自然な反応らしい。
負のループを良いループに作り替える試み
たとえば、仕事が終わったあと。
頭の中では、その日に起こった出来事が自動的に再生され始める。ああ言えばよかった、あれはどういう意味だったのだろう、などと考え出すと、気づけばネガティブな感情がどんどん膨らんでいく。
そして、その気分を紛らわせるためにワインを飲む。そういった終わりのない嫌な気持ちを持ち続けるのが辛いので、それを洗い流そうとしているような感じ。
これは長い間、すっかり習慣になっていた。
お酒を全否定している訳ではないのだけれど、毎晩の晩酌は控えたいのが本音で、今年は、この負のループを、自分の体と心、そして人生にとってもっと建設的な良いループに作り替えようと自分なりに取り組んできた。
仕事の時間とプライベートの時間の間に、意識的に区切りをつくる。
仕事という生活の一部が終了して、さあプライベート時間のスタートなのに、悶々と考えを引きずってお酒を飲み始める代わりに、部屋を片付けたり、食事の準備をしたり、軽く運動をしたり、美容に時間を使ったみたり。自分の気持ちを自分であげる。気持ちがあがらなかったにしても、ざわつかず、プライベート時間にやれることを淡々とこなすことに時間を使う。
そして、お酒を飲まなかった日は、その分のお金を貯金に回して、「今日は自分にとって良いことをした」ということを目に見える形にする。地味ぃ〜にお金までたまっちゃってるよ!って(笑
もちろん、そんなに急に毎日完璧にできるほど、強靭な精神は持ち合わせてはいない。
うまくいく日もあれば、できない日もある。数日続いて、また休んでしまうこともある。
でも、それでいい。少しずつ良いループの割合が増えていけば、それで十分だし、結構わたし頑張ってるなと思うことができる。自分を責め続けるはもうやめることにしました。
良いことをしようとすると、心がざわつく
ところが不思議なことに、良いループを作ろうとすればするほど、心がざわつく。
不安になる。やる気がなくなる。怖くなる。孤独を感じる。
そして、どうでもいいことについてネガティブな思考が再び頭の中をぐるぐると巡り始める。
しかも、それは自分の意志で始めているというより、自動的に起こっている。
以前の自分だったら、「精神的に不安定になっているのではないか」と心配していたかもしれない。
でも、今回思った。年齢を重ねるのも悪いことばかりではないと。
今の私は、これは「何かがおかしくなっている」のではなく、「変化の途中で起きる自然な反応」なのだと、比較的落ち着いて見ることができる。成長したわ、わたし(笑。
メルボルンの冬が教えてくれたこと
こういう「理由がわかれば安心できる」という経験は、以前にもあった。
オーストラリアのメルボルンに来てから、毎年のように冬になると、なぜか気持ちが落ち込む時期があった。
最初の頃は、自分の精神状態に問題があるのではないかと思っていた。でも理由が全くわからなかった。
けれど、しばらくして、それが毎年冬に起こることに気づいた。(しばらくの間、そういう気持ちになるのが冬だということも気が付かなかったんです)
メルボルンの冬は、薄暗い灰色の空としとしと降る雨の日が続く時がある。日本のように雪という季節によるハプニングもなく、北半球の夏にあたるため、日本では夏休みやお祭りの季節なのに、こちらではどこか静かで地味な冬が続く。クリスマスやお正月もない。
ここに到達するまでに何年かかかったけれど「ああ、これは私の性格の問題ではなく、季節の影響なのだ」と理解したことで、必要以上に不安になることはなくなった。気持ちが意味なく落ち込んでも、あ、これはまたメルボルンの冬のせいと、大抵はそうなので気持ちを持ち直すことができるようになった。
心のざわつきも、脳の現状維持装置
今回のざわつきも、それと同じようなものなのだと思う。
人間の脳には、現状を維持しようとする性質があるらしい。
たとえそれが、自分にとってあまり好ましくない習慣だったとしても、長い間続けてきたものは「慣れた安全地帯」になる。
だから、新しい習慣を作ろうとすると、脳は「いつもと違うぞ」と反応し、不安や抵抗感を生み出す。
つまり、心がざわつくのは、悪いサインではない。
むしろ、変化が本当に始まっている証拠なのだ。
自分と脳を、少し離れて見てみる
最近は、自分と脳を少し別の存在のように感じることがある。
脳が勝手に不安を作り出しているのを見て、「またやってるな」と少し距離を置いて眺める。
そうすると、なんだか愛おしくさえ思えてくる。新しいことへと向かっていくのにちょっとだけ臆病になっている聞き分けのない駄々っ子ちゃんみたい。
変化を怖がりながらも、これまでの習慣を守ろうと必死になっている脳。これはこれで、脳が私を守ろうともしてくれているんだなって。
そして、それを「大丈夫だよ」となだめながら、新しい習慣を育てようとしている自分。
どちらも、自分を守ろうとしているのだ。
そう思うと、心のざわつきさえも、人生を立て直す過程で起こる自然な揺れとして、少し優しく受け止められる気がする。
というわけで、脳という聞き分けのない、ちょっぴり臆病な駄々っ子ちゃんを、うま〜くなだめたりしながら、これからも仲良く付き合っていこうと思う(笑)。

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